初老の詩

初老の生活をつづります

悪材料が揃ってきた

アメリカで香港人権法案可決で中国反発で米中貿易摩擦の合意が先延ばしで日米株価下がってると言われている

みんななんで気づいてるのにそんな事言ってるの?

これって最後の条件交渉に香港利用してるだけでしょ?

まあ、機関投資家は上げ下げしないといけないから下げに誘導してるんだろうな


注目度低いが

地道にウォン安進んでる

サムソンね株価も下がり始めてる

そしてGSOMIA失効ほぼ確実

韓国通貨危機やばいじゃん

一旦、手仕舞うかな

いいわけ

人というものは嫌事、面倒なこと何かしら理由をつけて先延ばしする

仕事においてはこれは致命傷となることを誘発することが多々ある

なので仕事では嫌なこと面倒なことの優先順位をあげて取り組む

大抵の場合それ等は一度のやり取りでは終わらず少なからず待ち時間が発生する

その間に優先樹陰の低い仕事を片付けちゃえばいいのです

効率も上がる

 

でも、これがプライベートになると先延ばしのし放題

信じられないくらいに

例えば厄除けでもらったお札が古刹になり返納しなければいけないのだが

言い訳しながら10年以上返納できてない

先月返納すると一度は決めたが雨を理由に引きこもりを続けてしまい

今月はここまで来たら1月に返納して初詣も一緒に済ませれば一石二鳥と

合理的な理由を見つけて先延ばし

 

本当にプライベートではダメなおじいちゃんです

相変わらずの国鉄体質

今日、山手線と京浜東北線が新駅への線路切り替えの為止まった

その対応が乗客ファーストでなく自分の都合優先


その1つ目は周知を駅、電車でしか行ってない

平日と土曜では客層が違う

普段乗らない人が乗る

何を考えてるんだ?

ネクスト並みの周知徹底しろよ


2つ目が運休区間

田町・品川間だけを止めればいいのにそれ以外の区間も運休にする理不尽さ

特に品川〜大崎間が止まったのは迂回ルートがかなり不便で並行する


この会社は乗客は利用するしかないからという思いがあるらしく会社の都合優先が多過ぎる



暴落!?

決算発表も一通り終わった

日経平均は昨日、一昨日と下げたが今日は上げた


肌感だけど決算発表は7割方下方修正


この強さ違和感ある

米中問題は収束していくだろう

23日のGSOMIAが失効すれば企業業績の弱さを再認識して下値リスクを意識するトリガーになる可能性があるかな


年末は上げる事が多いので欲がでて判断を鈍らす


悩ましい


22日中に判断しないといけないか

投資の価値観変える

基本的に1年以内に韓国のデフォルト可能性大だと思っている

その時買い場だから自分で売買タイミングをレスポンスよく管理できる株式現物だけにしている

(米中貿易摩擦の方が重要だというのが常識だろうが私は貿易摩擦によるリスクは8割方織り込み済み、米国の金融政策も1年は利上げなしとみているから韓国のデフォルトが最重要)

 

とはいっても

ヘッジも考えなくてはいけない

米国債券とかが王道なのだろうが円高為替リスクは多い

また日本株と連動が少ないものを選ぶべきという考えから

ベトナムとインドの株式ファンドを試しに少額買ってみた

人件費からみてまだまだ競争力はあるし

教育水準も高い(インドは正確にいううと平均では低いが)

そして何より日本株ベトナム株、インド株はいずれの組み合わせも連動が低い

 

さてファンドはどうなるのだろうか?

最終的には資産の1割から2割をファンドにしようと思っている

都会の騒めきは私の脳ののどこかを刺激し

アドレナリンを大量に放出させる

都心に引っ越して不眠が酷くなったのはその所為だろう

随分と生活リズムが不規則になったものだ

無職だから成り立っているような生活リズム

 

騒めきに翻弄されながら

心地良い音を記憶の中から探る

そしていつも郷愁を覚える音にたどり着く

記憶を探りながら脳内再生する

時には涙があふれる

 

その音は

実家で過ごした生活リズムに伴う

海の近くで育った私は小鳥のさえずりではなく

ポンポン船の行きかう音で目を覚ます

窓から海に視線を移すと小さな漁船がポンポンと行き来している

時にはそれが何重にもなり海に広がる

昼間は同級生や地域の同年代とやくざのような方言で会話し

夕方、母親たちの子供たちを呼ぶ声で静寂の中へ向かう

20時を過ぎると海沿いの小さな集落は静寂に包まれ

波の音がリズムを刻みながら子守唄に代わる

時折聞こえる汽笛の音に遠くの街に思いはせながら眠りに落ちる

そしてまたポンポン船の音で目を覚ます

この繰り返し

中学生になるまで音楽のないこんな生活を送っていた

 

ここ数年その音をまた聞きたいと

実家に帰ると耳を澄ますがその音は聞こえない

焼玉エンジンからディーゼルエンジンに代わったためポンポンという音は消えてしまった

波の音もなぜか聞こえない

成長して聞き取れる周波数が狭まったのだろうか

汽笛も聞こえない

住民に配慮して緊急時以外汽笛を鳴らさなくなったのだろう

 

実家の窓から眺めると懐かしい音は聞こえない静寂さだけが増した

景色が広がる

この地域もかなりの過疎化が進んでいるのだろう

 

1年後にはそんな故郷に戻り

最後の親孝行をしようと思っている